あたドラ

Episode 02

未知への挑戦。

年の瀬も押し迫った、2020年12月。横須賀にある夏島運輸本社のオフィスでデスクワークをしていた恵川のもとに一通の問い合わせメールが届いた。依頼主は、新進気鋭の現代美術作家・冨安由真氏の代理人だった。メールには「神奈川芸術劇場で個展を開くので千葉県の廃墟旅館から、そこにある物を劇場まで運ぶことは可能でしょうか」と記されていた。トラックドライバーになって10年。日本全国へ様々な物を運んできた恵川でさえ経験したことのない仕事の依頼だった。夏島運輸では、飲料や食品など運ぶ一般輸送に加え、美術品や骨董品、遺物輸送などを行う特殊貨物も扱っている。それを知っての依頼と思ったが、具体的に何を運べばいいのか。まずは「運ぶ物を確認させていただきたい」とメールを返信した。間もなく送られてきた写真を見て、一瞬、ア然とした。写っていたのは、まるでホラー映画などに出てきそうな光景だ。天井は剥がれ、床には瓦礫が落ちている。ソファーやローテーブルがあるということは、旅館のロビーだろうか。とりあえず写真を見て何を運ぶのかは分かった。同時に大変そうなことも分かった。ただ、写真を見ただけでは判断できない。恵川は、現地を下見してから受注するかどうかを決めることにした。

  • Image photo

その旅館は千葉県市原市にあった。約10数年前に閉館してからは、メンテナンスされることもなく、時ととともに朽ちていった様子だった。実物を目にした恵川は「まるでお化け屋敷だな」と、写真以上の衝撃を受けた。なかに足を踏み入れると、一段とヒンヤリとした。しかし、驚いてばかりいられない。恵川は運ぶ物の状態やどこから運び出せるかなど確認していった。ソファ、テーブル、ラック、剥製。作家が指定した物はどれもが埃を被り汚れていたが、運ぶにはさほど手間ではないと思った。問題は、どこから運び出すかだった。メインエントランスの扉が壊れていて、開けることができなかったのだ。そこで、窓から運び出せないか検証した。一番大きな物のサイズを測り、窓の大きさと照らし合せてみる。すると、なんとか運び出せることがわかった。大体の算段がついた恵川は、この仕事を受けることにした。

2021年1月9日土曜日。物を神奈川芸術劇場に運ぶ日がやってきた。約束の時間は15時。渋滞も考慮して日の出前の6時に、恵川は二人のスタッフを伴って本社を出発した。トラックは4トンのウイング車とゲート車の2台。アクアラインに入った頃には陽が昇り、冬らしい澄みきった青空が目の前に広がった。3連休の初日ということで心配していた渋滞に合うこともなく、8時には現地に着いた。下見をしていない二人のスタッフは、廃墟旅館を見て驚いた様子だった。心地よい快晴の朝、なのにそこだけが時が止まったかのように怪しい雰囲気を醸し出していた。そんな彼らに恵川は作業に取りかかるぞと声をかけた。まずやったのは、旅館内を消毒することだった、10数年も風雨に晒され続けた廃墟だけに、蛆などがわいている可能性もある。感染症にかからないよう、消毒をした。

  • Image photo
  • Image photo

消毒をおえて作業開始。あらかじめ依頼されていた物は大小含めて40点。通常であれば1時間もあれば運び出せる物量だったが、初めてのことなので運び出し作業に1時間半〜2時間を見ていた。最初は、床にある瓦礫など細かい物を集め、緩衝材で包んでダンボールに梱包する作業を行なった。普通の感覚で言えば、瓦礫はゴミ同然だ。それを「そのままの状態で運んで」というのがクライアントの要望だった。ゴミ同然のものをわざわざ壊れないように梱包していることに、今までにない感覚を覚えた。瓦礫の運び出しは順調に進み、次はソファやラックなど家具類の運び出しに移った。ここで、問題が起きた。下見の時に、運ぶ物の重さを確認することができなかったのが唯一の不安材料だったが、それが見事に的中してしまったのだ。

Image photo
冨安由真《漂泊する幻影》2021年 「KAAT EXHIBITION 2020 冨安由真展|漂泊する幻影」展示風景 KAAT 神奈川芸術劇場 撮影: 西野正将

見た目はそれほど重くなさそうでも、壁に張り付いていたり、床に埋もれていたりして、簡単に持ち上げることができなかったのだ。だからといって、力任せに持ち上げようとすれば、壊れかけ寸前の状態なだけに破損してしまう。ふつうなら一人で持ち上げられるところを、物によっては三人〜四人で持ち、それぞれが微妙に力を加減しながら壁や床から物を剥がしていった。当然、慎重に慎重を重ねて作業をするが、刻一刻と時は過ぎていく。まさに“壊れないか壊れるか”、“間に合わないか間に合うか”を天秤にかけた作業であったが、なんとか全ての物を運び出すことができた。現地を12時に出発、15時に神奈川芸術劇場到着。未知への挑戦は、無事完了した。本社に帰る車中、夕日を眺めながら恵川は思った。「自分たちには“あたりまえ”でなくても、お客様には“あたりまえ”のことかもしれない。そう考えれば、なんでも運べるんだな」。

神奈川芸術劇場で行われた「冨安由真展」ポスター

このエピソードをご提供いただいた
夏島運輸株式会社
恵川 翼(エガワ ツバサ)様

  • Episode 01
  • TOP
  • Episode 03