あたドラ

Episode 01

緊急発進。

2019年9月5日に発生した台風第15号は、発達しながら小笠原諸島を北西に進み、非常に強い勢力となって伊豆諸島南部へと進んだ。強い勢力を保ったまま、9日には三浦半島付近を通過し、5時前に千葉市付近に上陸。千葉県千葉市では最大風速35.9メートル、最大瞬間風速57.5メートルを観測。千葉県内の多くの市町村で避難指示(緊急)及び避難勧告等が発令され、ピーク時における避難者数は2,200人を超えた。さらに暴風により、多数の住宅で屋根瓦の飛散などの被害が発生し、被災地域ではブルーシートなどによる応急措置に追われた。その様子は連日、テレビのニュースで報じられ、全国の人々に自然災害の恐ろしさを改めて認識させた。置田運輸のトラックドライバー鈴木も、その一人だった。

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台風15号が千葉県を直撃してから5日間が過ぎた、9月14日の15時半。神奈川県厚木市にある物流拠点[協同組合アツリュウ]内に営業所を構える置田運輸藤田所長のもとに、神奈川県トラック協会のセンター長がやってきた。神奈川県からの依頼で、防災センターに備蓄しているブルーシートを千葉県の館山市役所まで運ぶことができないか、という相談だった。防災センターはアツリュウの目と鼻の先の距離にあることから、アツリュウにいるセンター長に依頼がきたのだ。依頼が来た時間を考えれば、通常は翌日の作業になるが、次の台風が接近していることもあり、その日に運べること、さらにフォークリフトを運転できるドライバー、あるいはオペレーターが同行できることも条件としてあげられていた。幸い、藤田はフォークリフトの免許を持っている。話を聞いた藤田は、躊躇うことなく携帯を取り出し、電話をかけた。

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その日、休車の鈴木は家でゴロゴロと過ごしていた。「夕食は何を食べようかなぁ」そんなことをぼんやり考えていた時、携帯が鳴った。相手は藤田だ。電話に出るなり「鈴木さん、これから走れる?」という声が飛び込んできた。走れる?といわれても、どういうことかよくわからない。事情を聞くと、救援物資の運搬で館山まで走って欲しいということだった。ニュースで千葉県の惨状を目にしていた鈴木は快諾し、急いで営業所へと向かった。藤田はセンター長に協力する旨を伝え、事務所にいた沼上とともに防災センターへ行き、積荷の確認をした。倉庫には、縦3.6m×横5.4mのブルーシート2000枚が畳まれた状態で5枚ワンセットに梱包され、1つのパレットに20セットが載っていた。しかしそのままではアンバランスなため、運送中に崩れる心配があった。そこで、ワンセットずつラップで巻く作業を始めた。

まもなく鈴木も到着し、荷造り作業に加わった。作業を始めてから、2000枚のブルーシートを10トントラックに積み終えるまで約1時間半を要していた。そして19時半、館山市役所へ向けて出発。過去にも救援物資の運送経験がある鈴木は、道路が大丈夫か心配していた。東北大震災の時は、道路が波をうっていたり、割れていたり、路肩が落ちていたりして、通行止の箇所が多々あったからだ。台風とはいえ、あれだけの被害をもたらしたので何が起きているかわからない。しかし、心配は杞憂に終わった。東名高速から横浜を抜け、保土ヶ谷バイパスへ。狩場から首都高に入り、浮島ジャンクションからアクアラインへ。通行止めもなく、順調に走り続け、出発から約2時間後に館山市役所に到着した。

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そこには市役所の職員と消防署の人間が30人ほど待ち受けていた。トラックから荷を降ろし保管場所まで運ぶとなると、かなりの労力になり、帰路の事故につながる可能性がある。だから事前に、運び作業は現地の人にお願いしていたからだ。降ろし場所まで誘導してもらいトラックを停めると早速、降ろしの作業にかかった。藤田がフォークリフトを操り、次々とパレットを保管場所に降ろし、現地の人が保管場所に積んでいく。60分ほどで、すべてのパレットを降ろし終えると、どこからともなく拍手が沸き起こった。それを聞いた藤田、鈴木、沼上の3人は、驚くとともに胸が熱くなった。現地の人たちの感謝の気持ちが、ひしひしと胸に伝わってきたからだ。そして、屋根瓦が飛ばされ、“あたりまえ”の暮らしができなくなった人たちに、少しでも“あたりまえ”の暮らしに近づけるよう、ブルーシートが役立てばと思った。

このエピソードをご提供いただいた
置田運輸株式会社
【左】沼上 謙一(ヌマガミ ケンイチ)様
【中央】鈴木 保人(スズキ ヤスヒト)様
【右】藤田 広行(フジタ ヒロユキ)様

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